マスタ不整合はモデルでは直せない

AIの学習データは、センサの時系列やMESの実績に「品番」「設備ID」「不良コード」といったマスタのキーを付けて作ります。このキーが期間やシステムによって食い違っていると、モデルは同じものを別物として扱います。たとえば品番Aが2024年4月に品番A'へ改番されていれば、改番前後のデータは別の品番として学習され、どちらもデータ量が半分になります。逆に、設備の入れ替えで旧設備と新設備に同じ設備IDを使い回していれば、性質の違う2台のデータが混ざります。

どちらも、モデルの工夫では解決できません。マスタの対応関係は業務の事実であり、データから推定するものではないからです。IPAの「DX動向2026」(2026年7月公表、全産業)では、データ整備・管理・流通の課題として「データの標準化が難しい」が36.8%、「管理システムが整備されていない」が32.6%に上りました。製造現場では、この標準化の問題の多くがマスタの不整合という形で表に出ます。

AI用のデータで問題になりやすいマスタは、次の4種類です。

マスタよくある不整合AIへの影響
品番・品目改番、末尾の版数の扱いが部署で違う、ERPとMESで桁数が違う同一製品のデータが分断され、学習量が減る
設備・資産入れ替え後も旧IDを流用、ライン移設でIDが変わる、PLC名とMES名が別性質の違う設備が混ざる。設備横断の比較ができない
不良・停止理由コード体系の改定、「その他」の増加、工場ごとに独自コード正解ラベルが期間で変わり、精度の上限が下がる
作業者・班異動・兼務の履歴がない、派遣社員が共通IDで記録作業者要因の分析ができない

5ステップで整える

整備は、AIで使う対象範囲に絞って進めます。工場の全マスタを一度に直そうとすると、AIのプロジェクトがマスタ整備のプロジェクトに変わって止まります。

棚卸し、対応表の作成、正本の決定、変更履歴の管理、品質ルールの実装の5ステップの流れ 1 棚卸し対象範囲の値を列挙 2 対応表旧→新・別名を統合 3 正本の決定どのシステムが正か 4 変更履歴有効期間を持たせる 5 品質ルール基盤側で自動検査 AIで使う品番・設備・コードの範囲に限定して回す
マスタ整備の5ステップ。対応表と変更履歴を残すことが、後からデータを読み直せる条件になる。
  1. 棚卸し:AIで使う期間・ライン・品番について、各システム(ERP、MES、ヒストリアン、検査装置、Excel台帳)に実際に入っている値を列挙します。マスタテーブルではなく、実績データに出現した値を数えるのがこつです。マスタに存在しないコードが実績に入っていることがよくあります。
  2. 対応表:改番の旧新、表記揺れ(全角・半角、ハイフンの有無)、システム間の別名をまとめた対応表を作ります。対応関係は生産技術・品質保証の担当者に確認してもらい、推測で埋めません。
  3. 正本の決定:品番はERP、設備IDは資産台帳またはMES、不良コードは品質保証部門の管理表、というように、マスタごとに「どこが正か」を決めます。正本が2つある状態は、必ずどちらかが古くなります。
  4. 変更履歴:改番や設備入れ替えは、有効開始日・終了日を持つ履歴として残します。上書きで管理すると、過去の実績をいつの定義で読めばよいか分からなくなります。
  5. 品質ルール:実績データに「マスタに存在しない値」「有効期間外の値」が入ったら検出するルールを、データ基盤側に実装します。

MES側で再発を防ぐ設計

整備したマスタは、運用を変えないと半年で元に戻ります。MESを入れている工場では、次の3点をMESの設計で押さえると再発しにくくなります。

  • 入力を選択式にする:不良コードや停止理由を自由記述にしない。選択肢はマスタから引く
  • 改番を「新規登録」ではなく「版の更新」として扱う:品目に版や有効期間を持たせ、旧版の実績からも新版に辿れるようにする
  • 設備IDを物理資産と論理設備に分ける:ISA-95でいう物理資産(個体)と設備(役割)を分けると、設備を入れ替えても「ラインの3号機」という役割のデータは続き、個体ごとの履歴も残る。考え方はISA-95の4つの情報モデルを参照

整備の優先順位と工数の見積もり

すべてのマスタを同じ深さで整える必要はありません。AIテーマの特徴量と正解ラベルに直接使うキーから手を付けます。

AIテーマ最優先で整えるマスタ次に整えるマスタ
外観検査不良コード、品番設備(撮像ステーション)、作業者(再判定者)
予知保全設備・物理資産、故障コード部品・保全作業
品質の要因分析品番、材料ロット、不良コード設備、作業者、レシピ
生産計画品番、ルーティング、設備段取りマトリクス。詳細は生産計画AIに必要なマスタ7種

工数は、対象範囲の値の数と、対応関係を確認できる人の時間でほぼ決まります。編集部の経験では、1ライン・2〜3年分の品番と不良コードの対応表づくりで、現場担当者の確認に延べ数日〜2週間程度かかることが多くあります(案件条件で大きく変わる目安)。この時間はPoC計画に最初から入れておきます。

マスタの所有者を決める仕組みは、製造データのガバナンスで扱います。不良コード体系そのものの作り直しは不良コード・停止理由コードの設計を参照してください。

よくある質問

過去データの改番は、すべて新しい品番に置き換えるべきですか?

元のデータは書き換えず、対応表を通して読む形にします。元データを上書きすると、当時の帳票や監査記録と突き合わせられなくなります。レイクハウスなら、生データの層はそのまま残し、整形した層で対応表を適用します。

ERPとMESで品番の桁数が違う場合はどうしますか?

どちらを正本にするかを決め、もう一方には正本の品番を属性として持たせます。連携インターフェースで変換している場合は、その変換ルール自体を対応表として文書化し、AI用データの作成でも同じルールを使います。

マスタ整備は情報システム部門の仕事ですか?

仕組み(正本の決定、履歴管理、検査ルール)は情報システム部門やデータ基盤の担当が作れますが、対応関係が正しいかを判断できるのは生産技術・品質保証・設備保全です。両者の共同作業として計画します。

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この特集について

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  2. 製造業AIが本番で止まる7つの理由:PoCは成功したのにラインに載らない構造
  3. 製造業のAI-OCR:紙の検査記録・点検表・ミルシートをデータ化する手順
  4. データ基盤の段階的導入ロードマップ:ユースケースから逆算する8ステップ
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この記事を書いた人

株式会社サオス

株式会社サオス 製造DX部

DELMIA Apriso を中核とした MES / 製造DX の導入・運用・人材育成と、製造業向けAIの調査・開発・教育を手がけるITコンサルティング企業。ISO 9001:2015 / ISO 27001:2022 認証取得。 日本・中国・米国で製造業のMES・データ基盤・AI導入を手がけた実務者が、欧米・中国の一次情報にあたって書いています。