AI開発は「完成」を約束できない前提で契約する
従来のシステム開発は、仕様を決めればその通りに作ることを約束できました。AIは学習データとモデルの組み合わせで性能が決まり、やってみるまで何%の精度が出るかわかりません。この性質を無視して、外観検査AIを「見逃し率0.1%以下で納品」といった請負契約で発注すると、達成できなかったときに検収・支払いで揉めます。
経済産業省が2018年に策定した「AI・データの利用に関する契約ガイドライン」(AI編)は、この問題に対して、開発を段階に分けて段階ごとに契約する「探索的段階型」の進め方を示しています。アセスメント(実現可能性の検討)、PoC、本開発、追加学習の4段階に分け、前の段階の結果を見て次に進むかを決める方式です。同ガイドラインには段階ごとのモデル契約書も付いています。
本開発のうち、MESとの連携や画面のように仕様が確定できる部分は請負にし、モデルの学習部分は準委任にする、という分け方も一般的です。どちらの性質の作業かで、完成責任の有無が変わります。
確認すべき7項目
契約書のレビューでは、次の7項目が書かれているかを確認します。特に4〜7は、ベンダーの標準契約書では発注側に不利な書き方になっていることが多い項目です。
| # | 項目 | 確認すること | 製造業での具体例 |
|---|---|---|---|
| 1 | 段階と契約形態 | PoCと本開発が別契約か。準委任か請負か | PoCで合格ラインに届かなければ本開発に進まない |
| 2 | 合格ラインと評価方法 | 何のデータで、どの指標を、どの閾値で測るか | 見逃し率と過検出率を別々に、本番ラインの画像で評価 |
| 3 | 提供データの範囲と管理 | 渡すデータの範囲、利用目的、返却・削除 | 不良画像、工程条件、MESの実績データ |
| 4 | 学習済みモデルの権利 | 著作権・利用権の帰属、他社への再利用の可否 | 自社の不良画像で学習したモデルを競合に転用させない |
| 5 | 生成物以外のノウハウ | 前処理の方法、特徴量、ハイパーパラメータの扱い | 照明条件や撮像位置の知見は誰のものか |
| 6 | 性能保証と責任の上限 | 性能を保証しない旨と、その範囲。損害賠償の上限 | 誤判定による流出の責任をどちらが負うか |
| 7 | 再学習と保守の条件 | 精度劣化時の対応、再学習の費用、契約終了時の引き継ぎ | 材料ロット変更で精度が落ちたときの再学習 |
権利の分け方:「全部自社のもの」は現実的でない
発注側は「費用を払うのだから成果物はすべて自社に帰属」と考えがちですが、AIではそうならないことが多いです。ベンダーは自社の汎用モデルや学習の仕組みを使って開発するので、その部分の権利まで渡すことはできません。現実的なのは、次の3つを分けて決めることです。
- 自社が提供したデータと、それを加工したデータ:自社に帰属。ベンダーの利用は本契約の目的に限る
- 学習済みモデル(パラメータ):帰属はどちらでもよいが、自社が期間の制限なく使える利用権と、ベンダーによる他社向け再利用の禁止または制限を決める
- ベンダーが元から持つ技術・汎用モデル:ベンダーに帰属。自社は本件の範囲で利用できる
製造業で特に注意したいのは4番目と5番目の境界です。PoCの中で「この照明角度ならキズが見える」「この工程パラメータが不良に効いている」といった知見が得られます。これは自社の製造ノウハウそのものですが、契約に書かないとベンダーの開発ノウハウとして扱われ、同業他社の案件で使われても止められません。
本番運用を見越した条項:MES連携とモデルの引き継ぎ
PoCの契約では見落とされがちですが、本開発以降の契約には、運用に入ってからの条件を入れておく必要があります。
- 推論結果の出力形式とMESへの書き戻しの仕様。誰が作り、誰が保守するか
- モデルの版の管理方法。どの版のモデルがどのロットを判定したかを記録できるか
- 再学習の頻度と費用。品種追加や材料変更のたびに費用が発生する契約になっていないか
- 契約終了時に受け取るもの。学習済みモデル、学習データ、学習用のコード、推論環境の構成情報
- ベンダーが提供するクラウドやライセンスに依存する部分と、その価格改定の条件
4と5が決まっていないと、別のベンダーに乗り換えたくても、モデルを最初から作り直すことになります。ロックインの避け方はAIのベンダーロックインを避ける3原則で扱っています。
よくある質問
PoCの費用は成果が出なくても払う必要がありますか
準委任契約であれば、合意した作業を行ったことに対して費用を払うのが原則です。成果が出なかった場合に費用を減額する条件を付けたい場合は、成果報酬型の料金体系として最初から契約に書く必要があります。
学習済みモデルの著作権は発注者に移せますか
契約で帰属を決めることはできますが、学習済みモデルが著作物に当たるかどうかは議論があります。帰属よりも、自社が使い続けられる権利と、ベンダーが他社に転用できない制限を契約で確保するほうが実務上は確実です。
経産省のモデル契約書はそのまま使えますか
ひな形として出発点にはなりますが、自社の用途、データの性質、運用体制に合わせて修正が必要です。特に製造業では、MES連携や再学習の条件はひな形に十分書かれていないので、追加の条項を検討してください。最終的には法務部門や弁護士の確認を経てください。
